準則従った個別教会規則を持つ教会では、未受洗者への配餐は教会規則違反!
さて5月10日の記事の続きです。
教団が参考として準備した準則に従って教会規則を作成されている教会において、聖餐式において未受洗者への配産がなされた場合にはどのようになるか、検討してみましょう。以下の見解は安田の解釈・見解ですから、反論や異論がある方はどうぞお名前を明示してコメント下さい。(なお、教規135条・138条に関係する見解はまた別に解説しますので、ここでは省いています、ご了解下さい)
役員会が、教会規則に従って執り行われる条件を付して、正教師たる主任担任教師に執行を依頼した場合
このように執行を委託された正教師が、ご自分の牧会上の信仰的確信に基づき委託に反して未受洗者への配餐を実行されたならば、それは教会規則違反の聖餐式実行になります。その時の違反内容は
- 教会規則に反して未受洗者への配餐が執行されたことによる、教会規則第8条違反。(準則第8条違反による教規違反との論理は、準則は規則ではないので成立しない事に注目下さい)
- 役員会の聖餐式に関する決定権を無視したことによる、教規第102条第1項第1号違反。
この場合には、教会役員会はその聖餐式を執行した正教師に対して、上記教会規則および教規違反があったとして戒規申し立てが出来ると判断できます。ただ、戒規施行細則第2条は、「・・に違反する行為ありて教区又は教団の教務に支障を生ぜしめたときは」と規定されていますから、単に違反しただけでは具体的な戒規適用は困難かもしれません。また教会内の出来事ですから通常は、役員会・教会と教師の話し合いによって解決される方法が採用されるでしょう。個別教会から教区・教団に相談や協力要請が無いのに、個別教会の判断を無視して教区や教団が直接介入することは、極力避けるべきでしょう。
役員会が、未受洗者への配餐を容認しその方針に従った聖餐式執行を正教師に依頼し、教師がそれを拒否した場合
役員会の指示に反して、正教師が未受洗者への配餐をしなかった場合には、一見何も違反が起こらないように見えますが、規則を杓子定規に解釈すれば、教規違反があるとの解釈も不可能ではありません。その場合の違反内容は
- 役員会の聖餐式に関する決定権を無視したことによる教規第102条第1項第1号違反。
- この場合には、教会規則の違反はありません。
この場合も、教会役員会は教規違反があったとして戒規申し立てが出来ると判断できます。実際には教師が容認しない役員会決議は通常の状況ではありえませんから、実際にこの場合は考える必要が無いかも知れません。
役員会で未受洗者への配餐が容認され、その方針に従って正教師が聖餐式を執り行い、実際に未受洗者への配餐がなされた場合
この場合には、なかなか判断が難しくなります。教会役員会に教会規則に反する権限を与えられていると判断することは困難ですから、教会規則違反の聖餐式実行になります。この時の違反内容とその責任者は
- 教会規則に反して未受洗者への配餐が執行されたことによる教会規則第8条違反。この違反の第1位の責任者は聖餐式執行を決定した役員会となり、執行した教師は第2位の責任者となります。
- 聖餐式を執行した教師は、役員会の決定と指示に従ったわけですから、教規第102条第1項第1号違反とはなりません。
- この場合の責任が、役員会でなく教師にのみ存在するとの教規解釈は無理があります。もしそのように解釈すべきとの主張をされる方は、その根拠条項を明示して主張下さい。
この場合には、役員会自身が戒規申し立てすることは考えられませんが、問題を感じた教会員からの、教会役員会メンバーおよび教師にに対する戒規申し立ては、ありえるとは思います。
教会総会で聖餐式について決議した場合、教会規則を変更した場合など
前項の役員会判断ではなく、教会総会決議で聖餐式への対応を確認された場合には、教会規則違反の論理も成立しなくなります。
教規解釈で対立見解があるかも知れません。今日は時間がたりないのでこのあたりで終わっておきます。
「福音と世界2009年6月号」の戸田伊助先生の聖餐論 すばらし!
素敵な見解に出会いました、アーメンです。戸田先生の時代の「先例集」は良く出来ていました。教憲・教規を正しく解釈するには戸田先生のまとめられた「先例集」の第1章教憲の部を熟読下さい。どのような背景意思と祈りによって現在の教憲教規の骨格が作られているかが良くわかります。(羜十戒)