インターネット上での教憲教規解釈に関する意見交換について

このブログにおける私の教憲教規の解説に対して、コメントを下さった方がありました。
7月11日の記事『まず最初に「日本基督教団信仰告白」の文理解釈から』に対するコメントです。
議事分のホームページに公開されていた記事をお示しくださった上での対話の呼びかけでした。でそこにリンクを張っていたのですが、

現在はリンクを外しています。(09.11.20)

 以下がその方がこれまでに書かれた分へタイトルです。
 私はそこにリンクを張って参照してくださいとこのブログに書いていましたが、その方はリンクを切断し上で、現在そのアドレスにアクセスするとウイルスが送られるようになっていました。
 私はウイルス防御の備えがありましたから被害はありませんでしたが、googleの検索結果を見ると、そこにはアクセスするとコンピュータが破壊されるかも知れないとの警告が書かれていましたので、私のブログからリンクをたどって被害を受けられる方があってもいけないので、現在はリンクをはずしました。

  1. 「信徒が教憲・教規について考える意味」にリンク]
  2. 「法の読み方についての考察」にリンク]
  3. 「再洗礼は必要か」かにリンク]
  4. 「教会規則(準則)は教規に違反しているか」にリンク]
  5. 「規則の制定はどこまで自由か」にリンク]
  6. 「転載+αとあるブログでの応答」にリンク]
  7. 「対話の終止符を迎えて」にリンク]

対話に対する私の考え

私も、対話することに関しては異論がありませんから、コメントを返して居りましたが、2度、3度とコメントのやり取りをするうちに、コメント上で直接反論のやり取りを続けることが互いに負担になり、論議の暴走につながりかねないとの危惧を感じて、コメントでのやり取りのを中止し、以降は互いのホームページやブログでの互いの意見表明を聞き、自らの意見表明は自らのHPやブログで行うことへの変更を申し入れをさせていただきました。

勿論、意見交換の場や対話を閉ざすつもりはありません。私はすでに還暦を過ぎていますから若くは無いのですが、気持ちだけはいつまでも若く、議論になると猪年の猪突猛進の気がありますので、自らの暴走への安全策です。2年ほど前に、私の趣味のグループの掲示板を、運営方法に関する意見表明の投稿でつぶしてしまった苦い思い出があります。メールや掲示板上での論争は、3往復までが限界と思っております。

対案した方法は、相手の意見は相手の場に聞きに行き、感じたことを自分の場で表明するわけです。お互いに反論があったらすぐに応答しなければとのプレッシャーから解放されますし、自分のゆとりのある時に相手の見解を拝見できますし、自説も頭を冷やして表現出来ます。
相手の意見は、リンクを張ることで、相手の表現のまま読み手に提供できますから、勝手な要約による誤解の発生も抑えられます。

この方と私では、規則に関する考え理解が根本的に違っている様です。

まず最初に「信徒が教憲・教規について考える意味」では、信徒が教憲教規について感心を持つ様になったことを高く評価下さった様に見えますが、教憲教規を論ずるには特別な学びが必要との視点に立たれているように感じました。
私は、単純に私たちの組織の決まりだから、組織の構成員の当然の義務として知る必要が有るとの観点に立っています。そして、教憲教規は成文で定めてあるから、誰でも理解できるとの立場に立って、私の解釈・理解を表明しているだけです。

勿論、普通の信徒として2年ほど前までは教憲教規に関心をもっていたわけでは有りません。そんなものに関心を持たなくても、毎週の礼拝に出席して御言葉の解き明かしに接し、主を讃美し祈りを捧げておれば困ることが無かったからです。普通の信徒は皆同じと思います。

関心を持つ様になったのは教会の中で、聖餐式のあり方の理解の違いから、教憲教規違反として教師を退任勧告される方が出るというショッキングなニュースに接したからです。教会の中で信仰理解の差でそこまでひどいことが成されて良いのかとの疑問から、規則を読むようになったのです。戦後の民主主義教育の中で育った者ですから、規則の理解・解釈で対立があるならその決まりを読み、正しい解釈を求めて解決すれば良いと普通の考えです。

ですから教会政治的な関心はありませんし、その(教会政治の)ために神学の学びをする意思はありません。

8月4日現在では、対話は拒絶されたようです残念。でも私の窓口は開いておきます。

 書きかけの項目が有ったので、この記事の編集をしていて気がつきました。私が彼の発言に張ったリンクが拒絶されていました、アドレスは見つかりませんとの虚しい表示が・・・。
 相手の発言をそのままに拝見できるようにリンクを張ったのがまずかったのかも知れません、難しいものです。私とは全く発想が異なっておられるので、その視点・観点に対する私の立場や見解表明の良い参考になると思っていたのですが・・・。
 窓口はあけておきますので、またご意見を聞かせてください。(羜十戒 & 攄十戒

2009年11月20日 危険を避けるために書き換えました。